増子良太のブログです

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フリーランスになりました

      2016/01/28

お久しぶりの更新となってしまいました。

タイトルの通り、長年務めた会社を辞めて、フリーランスとして生きて行くことを選びました。

フリーランスになってやって行こうと思ってやったことなどを書いておいたら、後日読み返して、初心に帰るきっかけになるのでは?とも思ったので、ほぼ自分の為に書いています。

プログラマーとして生きて行くと決めたのは20歳になって少しのことでした。

音楽を聞いているのが好きだからという理由で、コンピュータミュージック科がある専門学校へ入学。

DTMどころかパソコンなんて学校の授業で少しだけ触った事がある程度。音楽に関しては聞くのが好きなだけの趣味レベル。しかも趣味といっても、熱狂的なファンとかではなく、ただの好きな人レベル。

専門学校に通学するたびに、周りとの温度差、実力差などを感じて、内容はすごく面白かったけどなんかイマイチ周りとは違うなと感じてた。

専門学校を就職先も決めずに卒業。とりあえず音楽業界に入りたいと思って様々な事務所やレコード会社などにテレアポしてみるが、会ってくれる会社もほぼいなくて、会ってくれても情熱もなくて実力もない若者を雇ってくれるわけもなく。

結局半年くらいであきらめて、地元の新聞広告に入っていた「プログラマー募集。未経験者でも丁寧に教えます」の広告を見て応募してみた。

理由は、「プログラマー」ってかっこいい。体を使う系ではないので疲れなさそう。

今考えるとヒドい理由。。。

会社に入ってすぐに2つ上の同期が出来た。趣味でプログラミングをやっているということで、パソコンの操作もおぼつかないオレと比べて覚えが早い。

ここでもまた負けるのか、専門学校の時と変わらないのは嫌だと思って、家に帰ってからも土日も参考書とにらめっこしながらプログラミングの勉強をしてた。

3ヶ月たったころ、初めて現場へ配属になった。少し研修して、少しだけ使えるようになったら現場へ出向。そこで初めて経験したのが携帯のテスター。

プログラミング関係ない!!とか思ってたけど、携帯ってどういう風にテストされてるのかとか見れたから、これはこれで結構面白い経験になった。

その時に同じチームにいた先輩が良い人で、「自分のタスクが終わっていれば、ここでプログラミングの勉強しててもいいよ」と言ってくれて、携帯のテスターしながら、テスト終わったら自分で社内ツールとか便利ツール作りながらVBAの勉強とかしてた。

1年でその現場も終わりになり、さっそく次の現場へ。官公庁向けのインフラを手順書に従って構築するというもの。

またプログラミングできないのか。。。

と、思ってがっかりしたけど、この現場での1年もかなり良い経験になった。今のlinuxのコマンドがたたけたり、apacheとかMYSQL(現場はoracleだったけど)とかの知識ができたのも、ここでのインフラ構築の経験がほとんど。

プログラミングはというと、すこしだけJavaをかじったりして、遊んでたら、現場でも少しだけJavaのソースを書く機会がもらえて嬉しかった。

ここでは今でも飲みに行く仲間ができたり、充実した現場になった。

1年くらいOSのインストールからミドルウェアの設定、ネットワーク機器の設定とかをやって、次の現場へ。

次は電子カルテとか作っている現場で、JavaScriptをガッツリ書いた。

今なら考えられないけど、カレンダーとか素のJavaScriptで実装してた。オブジェクトとかの概念とかもここで覚えた。

海外のプログラマーも一緒に開発するということで、自分でドキュメント書いて、それを海外のプログラマーに投げて実装してもらったり。でもちゃんと伝わらなくて、こちらの意図と違う物がでてきたり。コミュニケーションって難しい。

1年くらいして、もっとJavaScriptやらウェブに強くなりたいと決意。海外のプログラマーには「1家に1台あなたがほしいです」と家電のような暖かいコメントをもらいながら現場をさりました。

自分の会社はというと、辞めるといったとたんに社長は電話も出てくれなくなり、次長と退職手続きをすすめた。

 

長くなったので続きはウェブで!じゃなくて、続きは明日書きます。

 

 

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